なんの腹の足しにもならない

なんの腹の足しにもならない

ピンクのバカ

 

Twitterを見返すとピンクのバラを三本、3月12日にもらった事になっている。

この辺の記憶はもうほとんど無い。

この辺りに出てくる登場人物はみんな頭がおかしい。無論、わたしも。

薔薇もおかしい。本来なら買うべき人ではない人に買われ、貰うべき人ではない私の部屋にやって来た。

薔薇だってきっとこうなる予定じゃないって思いながら死んだと思う。

ピンクのバカ

 

 

そういえば、3月24日には沢山の種類のピンクの花が入った花束をもらったんだった

嬉しかったしちょっと救われた。

 

だけど、それきり私はお花を部屋に飾るのをやめた。花瓶の水を変えたりする穏やかな心は残ってなかったし、お花を選んで買ったりできなかった。

私に買われるお花はなんだか可哀想だなって思ってしまったし。自分が生きてるか死んでるのか怒ってるのか悲しんでるのか分からなかったし、とにかく焼き尽くさなくてはならない気持ちとの戦い。自尊心の家出。

 

 

それから自尊心は私の部屋に来て私と仲良くしてたと思えば、朝になると忽然と姿を消してしまったり、ふらふらと遠くに行ってしまって。

たまに私のところに帰ってくる。ときには恋人や友人が捕獲して連れて来てくれたり。

もう家出しないでほしい。できれば隣の部屋に住んだりして私と穏やかに暮らしてほしい。

 

 

生まれてはじめて鉢を買った。ローズマリーを植えてみた。鉢に植え替えなんて小学校の授業で桑の苗を植えた以来かもしれない。

私の自尊心も根を張って健やかに育ってほしい限り。

 

猫とミシン

 

すっかり寒くなってしまって私の外出のやる気は冬眠の準備をはじめています。

一方で恋人には仕事の依頼が絶えず、毎日毎日ミシンと向き合っていてなかなか夏の様に会える日が少なくなってしまいました

そこで、会えないことと忙しいことを緩和すべく、冬の間は彼のアトリエにバイトに行くことに…!

(完全に労働という名の労働のはじまりである)

彼はデザインから雑務まで1〜10を1人でやっていて、それは普通に1人でやる仕事量じゃない。(と常々思ってた)

なのでいつも彼を工場と呼んでいました。(まわりからはロボットや機械とも呼ばれていらっしゃいます)

しかしロボットや機械でもなく、やたらと猫好きジジイなのです。

私がアトリエから家に帰るタイミングにあわせて近くの猫スポットに行くみたいなのですが、

必ずオレンジのサコッシュに3種類くらいの猫の餌を入れて猫に会いに行っています。

私はその行為をキャバクラと呼ぶ。

 

私の今後のライバルは猫でありミシンなのである。人類ではない。

猫とミシンなんて、いつから私はジジイどころかババアと付き合っているのだろうか。

 

彼は何でも自分でしてしまう。ミシンのメンテナンスも自分でミシンに穴を開けて油をさす。仕事も小さな雑務からデザインまで自分でしてしまう。

彼の仕事してるとこを見てると、彼が機械って呼ばれてるのがわかる。機械みたいなめんどくささが彼にもある。私が料理に手こずると彼が主導権を握ってしまう。彼のキッチンだから仕方がないけれど、私は少し悲しくなってしまう。素敵な朝ごはんも作れるし、炊き込みご飯も豚汁もルーローハンも上手だし、魔法みたいに服も作ってしまう。(は、女子力が鬼じゃない?)

たまに私居ない方がよくない?とも思う。でも彼の中では違う。らしい

時々人間になってダメダメになったり、彼氏になって優しくしてくれたり、機械になってきびきび働いたり、忙しそう。

 

私は常に人間だから、ぶん殴りたくなる日もある。嫌な事を思い出して涙が止まらなくなったり、どうしようもない不安をこさえたり、特別理由もないのにご機嫌な日もある。

 

 

 

柄になる

 

私の恋人の口癖です。

人のヤバイ出来事や失敗などをすぐにひとコマ漫画みたいな刺繍にしてしまいます。

なので日常の嫌なことや困ったこと、ピンチがあるとすぐに「柄になる」と言います。

ヤバイTシャツ屋さんというバンドが流行ってるみたいですが、私の恋人こそ真のヤバイTシャツ屋さんなのではないかとそう思うのです。

ネガティブな事も馬鹿みたいにひどい事も、彼にとっては全部「柄になる」なのです。

付き合いはじめは、いや付き合う前から「柄になるな〜」「これは柄になりそう」となにかと言ってくるからほんとなんなのその口癖うるせぇよ。と思っていたのですが。

今は慣れたもので、「よっ!今日も出ました!柄になる!」くらいにしか思っていませんが。(名人芸みたいな)

対抗策として「ブログにする」を私は掲げました。(それでいいのか)

だから彼が柄を収集して、彼の奇怪な行動を私がブログにするという…

 

 

私はすぐに気にいらないものとか、怒ったりしていたけど、それは損だから非日常的な状態を楽しんだほうが面白いって教わった。でもそれはどこかで自分がやろうとしてた事だとも思う。浮気されてた元彼の話を名前まで事細かなディテールを友達や見ず知らずの誰かに面白おかしく伝えたくてこんなおかしなブログを書きはじめたんだから。

そして柄になる。

そして焼肉になる。

 

この街は本当に異世界だから

 

話し方があまり上手ではない。わかる。

表面的な心を閉ざした時にはすらすらと言葉が出てくるのに、商品の説明とか接客とか台本とか誰かが考えた言葉みたいにすらすらと言ってしまえるのに

あと油断しちゃった時にはすらすらと言葉が出て思ってもみないとこで人を傷つけてしまう。

書いてると自分で何を言っているか認識できるので何度も何度も心の吃音をなおしてから公開記事にしています。公開した後も何度か直しています。

 

人を傷つけないように出す言葉は優しいと同時に雑音が多くて、自分を守りたい言葉とかも混じってて、そうゆうことを皆話したり聞いたり日頃してるから何にも気にしないけれど、

たまに言葉の雑音に対して凄く鋭い人が居て、そうゆう人だから濁しちゃだめだと思って喋るとまた口の中から外からもつれだす。

 

京都は本当に異世界だと思う。私がここに来て4年とちょっと、やっぱり異世界だと思う。

高校の時、自分の生まれた街より美術に優しくて楽しそうなとこだったら関西でも関東でもどっちでもいいからどっか美大に行きたくてそんなボヤッとした考えで先生や親に勧められて京都に来てしまった。高3の時に2ちゃんのオカ板を見るのが好きで異世界スレの舞台は大体京都だった。

オカルトバカだから自分が大学生になって京都に住んだら自分も異世界に行ってしまうかもと思った。

京都自体が異世界だった。

汚い寮に住む異世界の住人、やたら髭や髪の長い男やヒッピー、高飛車すぎて何が言いたいのかわからないおばさん、馬鹿みたいに夏は暑いし冬は寒い。

温暖な気候で雨も少ない土地で育った私には、もうこの4年間ずっと異世界の中です。

京都をこじらせた人間というのがこの異世界には存在する。

京都は京都時間が流れているからそれに飲み込まれて異世界の住人になってしまう人がごろごろ居る。そのような人達は鴨川はただの川なのに何故か信仰されている。ただの川なのに何故か酔っ払ったら行きたくなる。悲しい時に行きたくなる。夜明けの鴨川が見たくなる。おそらく聖水が流れてるんだと思う。

みんな抹茶みたいな味になる。

きっと本当に異世界なんだと思う。

 

冒険の終わりに出会いたかった。

 

 

この前、傷心中の友達がそう言っていて胸が痛くなった。

この感情よく知ってるやつだなって思った。

私もずっとそう思ってた。冒険の終わりに出会いたかった。これが途中じゃなくて終わりと分かっていれば安心できるのに、もっと後で出会えば良かったのに、

でも途中だったものは仕方ない。もはや赤の他人の冒険、どっかでのたうち回りくたばってしまったって知ったことか。そういや私の旅は全然終わりじゃなかった。 

なんで自分ばっかり思考を変える努力をせないかんのか、なんて思ってしまうけれども、自分の事を気にかけてくれない人を気にかけてあげられるほどまだ年老いた精神性を持ち合わせてないし、他人のお節介は更年期になった時のお楽しみに取っておかなくては。

 

と言い聞かせる他ない。

 

そう考えられる様になるには相当な夜を越えて行かなくてはならなくて、それを知っているからこれからそうなるかもしれない友人のその言葉が痛かった…

今でもずっと修繕と構築の工事に励んでいる私の心のサグラダファミリアは、なかなか修繕されないしそれどころかどんどん前と色も形も構築を重ね変わってしまっていくのに

修繕の方は飛散したビーズをひとつひとつ拾って仕分けるみたいな地道な作業みたいにつづく。

 

そんな事を考えはじめるとまた気分が少しずつブルーになってゆき、狭い部屋に押しつぶされてしまいそうになるけれど

あまり積極的に外出する方でもないため、引きこもってブルーなどうしようもない考えを部屋中に張り巡らせ自分を苦しめていたので

友達のライブを観に行ってみた。

愛って付いてる歌を覚えてるとこだけ歌ったり、知ってる少ないコードを駆使して作った曲を聴いてちょっと気持ちが平らになった。

あと8割くらい何言ってるかわからない野口の歌も聴いた。変わらないってすごい。

久しぶりに会った友達にブログちょっとだけ読んだ。と言われたので、消された記事も読んでもらった。

やっぱり女の子の実験のとこで笑ってくれた。やっぱり落語だ。

 

引っ越ししたての友達の家で途中まで書いたブログを書き足してる。この部屋も部屋になる途中みたい。色んなものが途中。

朝方に雨が降ってきて部屋がぱちぱち音を立ててる。体調があんまり良くないって言ってた恋人の心配もしつつ、明日お見舞いに行くべきか思案している。

私わりとピンポイントでネガティブだけど全体的には前向きな方だと思う。

 

このポエミーな文体はちょっと前に読んだmixiのブログを本にしたやつのあの変な作者みたいだな。

「これデートだから」

 

先日、彼の参加しているイベントにお手伝いに行ってみた。しばらく会っていなかったので、普通にお手伝いと称して一緒に居られるのが嬉しかった。

実際に待ち受けていたのは彼に「これデートだから」と言われ「これを増やしてください」と500円を渡された。

これはデートではないと思う。

しかし、私も真面目だから数倍に増やしてしまった。

 

またある時は「これデートだから」と言われ

「これトレースしてください」と、彼の新作のアイテム(彼の知り合いの方の毛じらみのエピソードを元にしたデザイン)のトレース作業をやらされた。

これはデートではない。もしも名前を付けるのなら労働。というか毛じらみのデザインってなんだよ。

しかし、私も真面目だから丁寧にこなしてしまった。

そもそもデートとは果たして「〜してください」ではじまるものだっただろうか。

 

 

彼としては一緒に物作り=ロマンチックらしく、

「映画のゴーストみたいじゃない?」というのでさすがだなぁ、(ぶちまわすぞ)となる。

毛じらみのトレース作業と、ろくろをセクシーにまわすシーンの何が同じなのであろうか。

まずあのシーンを再現するためにはビジネスではなく自分用の制作かつ共同作業であること、片方が半裸であること、毛じらみなどのとち狂ったデザインではないこと、が必須条件なのではないだろうか。

 

私は彼の一片しか知らない

私に見せている部分じゃない彼を知るために、彼を以前から知っている人に会うときには必ず「普段はどんな人なんですか?」と聞いてみることにしている。皆決まって

「頭おかしいよあの人」「やばい人だよ」などと言う。

全く同意見である。

 

 

ロマンチックとデートの定義は一体なんだろう。私が思い描いていた一般的なロマンチックとデートってなんだったのだろうか。彼は私をよく観察しているし、今までの経緯や歳がずいぶんと違う分いろんな話をしてくれる。私が今すごく恋愛とか信頼関係とかに対して不安定な感覚だったり、不信感とかをどうしても持ってしまうことも話し合ったり、彼と付き合う事で私は物事を柔軟に考えるという事を教えてもらっている。私はかわりと言ってはなんだが、ハム語を教えてあげた。(とっとこハム太郎2〜ハムちゃんず大集合でちゅ〜は私にとって神ゲーである)果たして私たちの関係はロマンチックなのだろうか。

 

しかし私は乙女でありロマンチストをやめられない。どうせこれも読んでニヤニヤされているだろうから、このブログを読んだならとびきり可愛いお花とラブレターをよこしなさいよね

 

 

 

永遠の若さ。

 

現在、永遠の若さを手に入れている私。

必ず死ぬけれど、今の私は永遠に若い。

母と父は間に7年の年の差がある、それ故に母は父と居る限りどんなにババアになろうが、永遠に若い奥様なのです。ちょっと父の同窓会の送迎なんかをするだけでちやほやされたりするのです。それに気づいた時から羨ましかった。

私は今一回り程年上の方が恋人だけど、だからたまに縮まらないかな、と思ったりもするけれど、彼が側に居る限り私は半永久的に若くてかわいいのです。(※全て勝手な持論である)

若さは年齢だけでなく自分が存在する環境にもあったりするのではなかろうか。

これはこの交際において現在の最大のメリットであると思うのですが、(え、他は?とお思いかと存じますが、あとは包容力とか献身的とか喧嘩にならないとかまかないや変な刺繍付きなど月並みな言葉になってしまうため割愛。)

もしずっと一緒にいたとしても圧倒的に先に死ぬという悲しさ、年上すぎてむかつく、「君はまだ若いから」という発言に対してぶちまわしたくなる感情

などデメリットもあります。

年上なのもさることながら、変人だということもあり度々謎行動や謎言動に奮闘しなければならないなどございます。(このブログで名指しでぼろくそ書かれるのを楽しみにしている)

 

そんな年上と付き合って、どう?と最近はよく聞かれるけれど、

たぶんこれは一般的なケースでない事だけは実感している。

でも楽しげじゃろ?ジャンジャンジャガイモサツマイモじゃ。