なんの腹の足しにもならない

なんの腹の足しにもならない

日記

 

私の作品を観て「ほんと前の彼氏と別れて良かったね」って時々言われる。

たしかに物が作りやすくなったし、前みたいに何が作りたいのか、描きたいのかわからないって悩みが自分の中で小さくなった。気がする。

でも前は作らなくても完結する世界に居たから、それはそれで別に良かった。

結果オーライだねとか言われても今私が作らないと完結しない所に今立っていて、それで作ってるから結果良かった感じにその人に見えてるだけだしクソくらえだなって思う。怒ってる訳じゃないです。でも津波で家流されたせいで豪邸に住むことになった人に結果オーライだねって言ったらちょっと変じゃない?って感じの違和感。

 

どっちが幸せとかは特になくて、別にどっちも不幸ではないし、不幸なことではある。

だから別れて良かったねとかはない。だってその時の自分は別れたくて別れたわけではないから。勝手に良かった事にしないでほしい。

だけど、今の恋人と付き合って作品良くなったねとかも時々言われる。それはとっても嬉しい。私だけじゃなく彼も褒められてるみたいな気持ちで2倍おいしい。

付き合う人でそんなに変わってどうなのって言う人もいるんだけど、日記をつける気分とつけない気分みたいな感じで絵を描いてるから関わる人で影響が出ちゃうのは仕方ないかな?って思う。

実際恋人の有無とか誰ととかよりも、毎日色々あったり学んだり楽しいと日記の筆も捗るし、それと同じ。

 

 

この前、恋人にあげようと思って描いた彼の好きな花の絵は一瞬で売れてしまった。

だけど、そう思って描いた絵だから一瞬で売れてしまったのかも。

 

 

 

私もあなたもきっと誰かの可愛い子なんだし旅にでた方がいい。

 

 

その日は長いバカンスから帰って来たみたいな感じで、ちょっと疲れてるけど明日から頑張ろみたいな感覚になった

長いバカンスってむしろしんどくて、後半は苦行の旅みたいになっててはやく帰りたいみたいな気持ちになる。セレブは違うんだろうけど

ただちょっとした達成感というか、やっとマラソン走り終えたというか、重荷を1つおろせた。

なんだか身軽になって調子に乗ってクローゼットのしばらくきてない服とかもばんばん捨てた。

後悔するかもしれないけど、手元にないのが物足りないだけで実際あっても着ないか着る機会があっても3日分くらいでまたタンスの肥やしになるだけ

古いものを捨ててzozo townに旅に出る

 

だいたい捨てられないものって3日分くらいは価値があるかもしれないけど、その価値を大事にするせいで新調してこれから沢山の使うものとの出会いを妨げてるよね。それってなんか人間関係みたいで気持ち悪い

burn him up

 

私の大切な友達は、ろくでもない元恋人を未だに想い続けてる。

1番厄介なのは人の元彼の悲惨な話はひどいと理解できるのに、こと自分の元彼となると感覚が麻痺していること。

どうにかしてあげたい、幸せになってほしいって思うけど、好きな気持ちは曲げられないし、かつての彼女の恋路を取り持った事があるので2度もお節介するのもなんか違う。

 

私は彼女と毎年バレンタインに一緒にマカロンを作っている。

なぜマカロンと決まってるのか、というのはマカロンは作るのがめちゃくちゃめんどくさいから。ブラウニーとかマドレーヌとかは手順通りにすすめれば簡単に出来ちゃうけれども、マカロンはなんとなくクックパッドを見るとかだけでは綺麗に焼きあげるのは難しい。(我々が不器用なだけという可能性は否めません)

毎年、昼ごろからはじめても結局夜遅くまでマカロンと格闘することになります。

(ちなみに、去年わたしはマカロンを必死に作っていた日にも浮気されていました卍)

まじマカロンと一緒にオーブンにぶち込んでしまえばよかった。

 

今年も懲りずにマカロンを作るのですが、毎年マカロンのクオリティが上がっていくのが快感です。技術は裏切らない事を学びました。

 

彼女も元彼にだいぶひどく扱われているけど、どうか自分にとって心地よい方向へと向かってほしい。

これ以上言うとフェミニストっぽくなっちゃうから言わないけど、とりあえず大塚愛は幸せになってほしい。

 

 

 

フランチャイズ最愛

 

今年めっちゃ面白い1年だったな、と思う。

もうここですり減るほど述べているので言わずもがなですが、シンガポールに行き、浮気され、大規模に破局して、最愛ってなんだっけ?となり、ブログを綴りまくり、めちゃくちゃこそこそやってたブログだったのに見たことないアクセスになり、浮気相手にブログが見つかり、付き合うと思ってなかった方と交際に発展し、現在はへんてこな恋人の作ってる服のタグを半田ごてで切ったりしているわけですから。

 

別れはひとつだったけど、めちゃくちゃ沢山出会いがあって結果色んな作品にもなったしちょー面白い1年でした。

そう思えるようになったのは恋人のおかげだしブログを書いたことで出会えた子たちのおかげだし、めちゃくちゃな色恋沙汰になってるに飽きれず優しくしてくれた友達のおかげで…感謝

いろんなありがたみ噛み締めた…

でもなんか、めちゃくちゃ愛されてた気がしてたけど全然嫌われるみたいな事があったおかげさまで人に嫌われるのとかがちょっと気にならなくなったから人間関係が少し楽になりました。ちょっとマッチョになった

ものすごく怒ったので、それ以降人にあまり怒っていない。

 

来年は色恋沙汰以外でめちゃくちゃおもしろコンテンツになりたい所存です。

皆様ご協力、ご自愛くださいませ

 

あと先日、今年1番の怒り狂って描いた絵が今までで最高額で売れました。ありがとうございます。

 

わたしの命わたしで終わり。

 

今まで当たり前に結婚して子供が欲しかった。だけど、結婚はしてみたいけどわたしの命わたしで終わりの方がいいような気がしてきた…一過性の気分かもしれないけど、こんな風に思うのははじめて。

 

子供って元々は自分の細胞から出来てるからなんとなく分身だったり現し身なように思うけれど、一人で外出できるくらいに育てた後はもう完全なる個だからそう考えたらめちゃくちゃこわい。AIが自我を持って人間を滅ぼす的な感覚と同じ。

今まで股から人間ででくるとかまじでこわいって思ってたけど、それでも出産という体験への興味の方が大きくて子供って当たり前に一生に一度産んでみるものだと思ってた。

でも命を繋げる使命感なんて持たなくていい。ビッグダディーに任せる。

大森靖子だって片山真理だって椎名林檎だってお母さんだけど、わたしはきっとお母さんにはなれない。そう思っててもいつかお母さんになるんだろうか。

自分がそもそも親との接し方の正解を見出せないのに絶対親になんかなれないんじゃないかな。

わたしの命わたしで終わり。子供も違う生き物だからどのみちわたしの命はわたしで終わり。わたしの祈りもわたしで終わり。

父も母もすごいと思う。こんなに大きくなるまで育ててくれたし、ちゃんと食べ方も綺麗だし、姿勢こそあまり良くないけれど犯罪者になる予定もないし、当たり前のことだけどそれは本当にすごいことだと尊敬する。

だけどもう個になってしまったわたしは同じ細胞に戻ることはない。

 

この卵子もこの子宮もこの乳腺も出番を迎えることがないのか。

そんなこと言っても人生のうちに一つくらい子孫を繁栄してしまうのか。

何があるかわからないことだけは20年ちょっとで学んだ。それだけ。

 

クローゼットの扉

 

以前、クローゼットの扉が壊れやすかったのに母がいとも簡単に直してしまった。というブログを書いたのですが、その際に「次壊れたら気になる人でも呼んで直してもらいなさい」という雑なアドバイスを頂いていたので、実戦させていただきました。

と言っても恋人にクローゼットを直しに来てよってお願いしただけですが…

 

 

「運転免許を取らない理由は免許を取ってしまったらほんとうにどこまでも一人で行ってしまうから。」と言っている友達が私の周りには2人ほど居て、

私にとってクローゼットもそのひとつなのかもしれないと思ってしまう。

きっと私も仕組みさえわかってしまえばクローゼットは何度壊れても直せてしまうんだと思う。

でもそれでは意味がなくて、クローゼットを直してもらう大義名分とか、お礼に紅茶でもいかが?とか、次にクローゼットのネジが緩むまでに自分にどんな風になってるのかなとか、

正直めんどくさくてやりたくない気持ちとか、助手席が好きだから免許取りたくない気持ちとか、雑念がないわけじゃないけれど。

人に何かを頼って、返ってくるのってすごい嬉しいし心地よくて、ただのクローゼットなんだけど、別にクローゼットじゃなくても何かギリギリ出来そうで出来なかったりする事を自分より得意な誰かに託してしまうのって贅沢でファビュラスだと思う。

私は出来ないことが多いから、恋人をはじめ1人で物事をこなせてしまう人を羨ましく思ってしまうけど、しかも色々頼っちゃうけど。笑

軋むベッド以外でも、様々な場所に私は優しさを持ち寄りたい。所存

ピンクのバカ

 

Twitterを見返すとピンクのバラを三本、3月12日にもらった事になっている。

この辺の記憶はもうほとんど無い。

この辺りに出てくる登場人物はみんな頭がおかしい。無論、わたしも。

薔薇もおかしい。本来なら買うべき人ではない人に買われ、貰うべき人ではない私の部屋にやって来た。

薔薇だってきっとこうなる予定じゃないって思いながら死んだと思う。

ピンクのバカ

 

 

そういえば、3月24日には沢山の種類のピンクの花が入った花束をもらったんだった

嬉しかったしちょっと救われた。

 

だけど、それきり私はお花を部屋に飾るのをやめた。花瓶の水を変えたりする穏やかな心は残ってなかったし、お花を選んで買ったりできなかった。

私に買われるお花はなんだか可哀想だなって思ってしまったし。自分が生きてるか死んでるのか怒ってるのか悲しんでるのか分からなかったし、とにかく焼き尽くさなくてはならない気持ちとの戦い。自尊心の家出。

 

 

それから自尊心は私の部屋に来て私と仲良くしてたと思えば、朝になると忽然と姿を消してしまったり、ふらふらと遠くに行ってしまって。

たまに私のところに帰ってくる。ときには恋人や友人が捕獲して連れて来てくれたり。

もう家出しないでほしい。できれば隣の部屋に住んだりして私と穏やかに暮らしてほしい。

 

 

生まれてはじめて鉢を買った。ローズマリーを植えてみた。鉢に植え替えなんて小学校の授業で桑の苗を植えた以来かもしれない。

私の自尊心も根を張って健やかに育ってほしい限り。