なんの腹の足しにもならない

なんの腹の足しにもならない

フランチャイズ最愛

 

今年めっちゃ面白い1年だったな、と思う。

もうここですり減るほど述べているので言わずもがなですが、シンガポールに行き、浮気され、大規模に破局して、最愛ってなんだっけ?となり、ブログを綴りまくり、めちゃくちゃこそこそやってたブログだったのに見たことないアクセスになり、浮気相手にブログが見つかり、付き合うと思ってなかった方と交際に発展し、現在はへんてこな恋人の作ってる服のタグを半田ごてで切ったりしているわけですから。

 

別れはひとつだったけど、めちゃくちゃ沢山出会いがあって結果色んな作品にもなったしちょー面白い1年でした。

そう思えるようになったのは恋人のおかげだしブログを書いたことで出会えた子たちのおかげだし、めちゃくちゃな色恋沙汰になってるに飽きれず優しくしてくれた友達のおかげで…感謝

いろんなありがたみ噛み締めた…

でもなんか、めちゃくちゃ愛されてた気がしてたけど全然嫌われるみたいな事があったおかげさまで人に嫌われるのとかがちょっと気にならなくなったから人間関係が少し楽になりました。ちょっとマッチョになった

ものすごく怒ったので、それ以降人にあまり怒っていない。

 

来年は色恋沙汰以外でめちゃくちゃおもしろコンテンツになりたい所存です。

皆様ご協力、ご自愛くださいませ

 

あと先日、今年1番の怒り狂って描いた絵が今までで最高額で売れました。ありがとうございます。

 

デザイナーと付き合ったら、お洒落がわからなくなった。

 

私中高生の時からジッパーで育ったため、古着が好きでリメイクも好きで…そんな感じの10代でした。今もお洋服もおめかしも好きです。特段ファッションに対して詳しいとか自分自身がお洒落とかではないですが映画とかみたりテーマとか決めたりして服を着るのは好きです。

ファッション関係の人とかデザイナーの人って私のイメージだと、奇抜な服を着ているだとか変な髪型だとか落ち着いた服装なのに凄く高いメガネをかけているだとか革製品とかアクセサリーを付けているだとか、そうゆうイメージでした。

あと、腰に様々な鍵類をぶら下げて歩く度ちゃりちゃりと音を立てて歩くイメージもあります。

私はそういった人とは付き合わない!と高校生の時から決めていました。地味で堅実な人が好きなので…

かつてお洒落クソ野郎大図鑑というお洒落な人をカテゴライズして特徴と服装をイラストに描いた性格の悪い活動もしていました。岸田メルにはウケた。

そんな私がデザイナー(?)と付き合うなんて…

私は以前、服に全く興味が無い人と付き合う事へのメリットなどをブログにしたためていたぐらいなのですが、服に全く興味が無い人と付き合って私が好きな服を着せていたら小綺麗になってそのまま浮気されてしまった事に結構がっかりしてしまった反動もあるかもしれない。(実際、自分の美意識みたいな物?テーマ性?をあまりにも持っていない人と付き合うのはやめようと心に誓った。)

 

デザイナー(?)というバイブスなのはイメージの相違がありすぎて断定できない感じがあるから。

彼は、自分の作った服を着ているものの自分が身につける服にほとんどこだわりがなく、多分全然お洒落じゃない。派手ではないけど地味でもない。あやしい。

よく見たらだいたい穴が開いていたりシミがついていたりするし、あと腰だけはちゃりちゃりと音を立てて歩く。売ってる服を買う基準は自分が作れないかどうか。などと供述しています。 

そして私はお洒落って何だろうか。と悩んでしまう

個々がこの服を着ていれば強い気持ちになれる、好きなもので身を固めたい、こうゆう自分でありたい。という気持ちで服を選択することでしょうか。

逆にダサいとは何だろうか、服がちぐはぐに組み合わされてること?華美な装飾?着れたらなんでも良いという気持ち?

何だろう。わからない…

デザイナーの彼女って私のイメージでは私みたいなお洒落クソ野郎大図鑑とか描く女ではなく、なんかおでことか全部出しても服が着こなせる女みたいなイメージがあるんですが…

決めつけるのは良くないんだけど、思ってたのとはかなり違う。

好きな服着たらいいよとは言ってくれるけれど、だから好きな服を着ているけれど。

彼も自分自身の為のおめかしをしてみてほしい。

わたしの命わたしで終わり。

 

今まで当たり前に結婚して子供が欲しかった。だけど、結婚はしてみたいけどわたしの命わたしで終わりの方がいいような気がしてきたんだよねー一過性の気分かもしれないけど、こんな風に思うのははじめて。

 

子供って元々は自分の細胞から出来てるからなんとなく分身だったり現し身なように思うけれど、一人で外出できるくらいに育てた後はもう完全なる個だからそう考えたらめちゃくちゃこわい。AIが自我を持って人間を滅ぼす的な感覚と同じ。

今まで股から人間ででくるとかまじでこわいって思ってたけど、それでも出産という体験への興味の方が大きくて子供って当たり前に一生に一度産んでみるものだと思ってた。

でも命を繋げる使命感なんて持たなくていい。ビッグダディーに任せる。

大森靖子だって片山真理だって椎名林檎だってお母さんだけど、わたしはきっとお母さんにはなれない。そう思っててもいつかお母さんになるんだろうか。

自分がそもそも親との接し方の正解を見出せないのに絶対親になんかなれないんじゃないかな。

わたしの命わたしで終わり。子供も違う生き物だからどのみちわたしの命はわたしで終わり。わたしの祈りもわたしで終わり。

父も母もすごいと思う。こんなに大きくなるまで育ててくれたし、ちゃんと食べ方も綺麗だし、姿勢こそあまり良くないけれど犯罪者になる予定もないし、当たり前のことだけどそれは本当にすごいことだと尊敬する。

だけどもう個になってしまったわたしは同じ細胞に戻ることはない。

 

この卵子もこの子宮もこの乳腺も出番を迎えることがないのか。

そんなこと言っても人生のうちに一つくらい子孫を繁栄してしまうかもしれない。

何があるかわからないことだけは20年ちょっとで学んだ。それだけ。

 

クローゼットの扉

 

以前、クローゼットの扉が壊れやすかったのに母がいとも簡単に直してしまった。というブログを書いたのですが、その際に「次壊れたら気になる人でも呼んで直してもらいなさい」という雑なアドバイスを頂いていたので、実戦させていただきました。

と言っても恋人にクローゼットを直しに来てよってお願いしただけですが…

このブログだけ読むと前の彼氏と別れて秒で変な彼氏が出来たすごい軽薄な人に見えてるんじゃないかと不安になる。ほんとたまたま変な人とたまたま交際に発展した感じなんで…そんな事言っても他者からのイメージが簡単に変わるとかは思えないけど。

 

読者はだいたい友達か他の媒体もチェックしてくださっている素晴らしき物好きのファンか恋人か元恋人関連の皆様という応仁の乱みたいな感じの読者層を想定してるんだけど、どうなんでしょうか?みんな内情を理解して楽しんで読んでくださっている程なんだけど。

 

「運転免許を取らない理由は免許を取ってしまったらほんとうにどこまでも一人で行ってしまうから。」と言っている友達が私の周りには2人ほど居て、

私にとってクローゼットもそのひとつなのかもしれないと思ってしまう。

きっと私も仕組みさえわかってしまえばクローゼットは何度壊れても直せてしまうんだと思う。

でもそれでは意味がなくて、クローゼットを直してもらう大義名分とか、お礼に紅茶でもいかが?とか、次にクローゼットのネジが緩むまでに自分にどんな風になってるのかなとか、

正直めんどくさくてやりたくない気持ちとか、助手席が好きだから免許取りたくない気持ちとか、雑念がないわけじゃないけれど。

人に何かを頼って、返ってくるのってすごい嬉しいし心地よくて、ただのクローゼットなんだけど、別にクローゼットじゃなくても何かギリギリ出来そうで出来なかったりする事を自分より得意な誰かに託してしまうのって贅沢でファビュラスだと思う。

私は出来ないことが多いから、恋人をはじめ1人で物事をこなせてしまう人を羨ましく思ってしまうけど、しかも色々頼っちゃうけど。笑

軋むベッド以外でも、様々な場所に私は優しさを持ち寄りたい。所存

みんな死ねと思ってた。割と

 

中学に入って美術部でみんな死ねと思いながらドールハウスに絵を描いたりしていた。

中学の頃に組んでいたバンドは親友だったギターの女の子と人間関係がこじれてうまくいかなくなった。その時は私が悪いんだと思いつめて学校もかなり休みがちだったけど、今思えば私はそんなに悪くないと思う。この事が無ければもう少し性格も違っていた気もする。その時が1番苦しかったから、後にその子の名前の歌を作った。

高校生になって美術部で普段アニメみたいな絵ばかり描いてる子達に囲まれてみんな死ねと思いながら油絵と戦っていた。

先生がかなり変わっていたので先生の言うとおりに絵の具をのせるという感じだったし、美術部の周りの子の影響でテニミュにハマってしまった。みんな死ねと思っているわりに全然ストイックではない。当時好きだと言ってくれた男の子をテニミュに夢中すぎるあまり振ってしまったことがある。2人も。ほんとごめんバカで。

曲聴いてハモリの下手さで何代目か当てるソムリエだった。ほんとごめんバカで。

 

大学に入る受験の時も、大学に入りたてで絵を描いてる時もずっとみんな死ねと思いながら絵を描いていた。

 

小学生の時から絵を描く時はいつもみんな死ねと思ってた。割と 

でもそれが描き方だったし、自己防衛のやり方だったのかもしれない。

他のものを作ったり文章を書くようになってからはあまりそうゆう気持ちには不思議とならなくなっていたし、分散させてるのかもしれない。

あるいは20歳になるくらいまでずっと厨二病だったのかもしれない。

ピンクのバカ

 

Twitterを見返すとピンクのバラを三本、3月12日にもらった事になっている。

この辺の記憶はもうほとんど無い。

この辺りに出てくる登場人物はみんな頭がおかしい。無論、わたしも。

薔薇もおかしい。本来なら買うべき人ではない人に買われ、貰うべき人ではない私の部屋にやって来た。

薔薇だってきっとこうなる予定じゃないって思いながら死んだと思う。

ピンクのバカ

 

 

そういえば、3月24日には沢山の種類のピンクの花が入った花束をもらったんだった

嬉しかったしちょっと救われた。

 

だけど、それきり私はお花を部屋に飾るのをやめた。花瓶の水を変えたりする穏やかな心は残ってなかったし、お花を選んで買ったりできなかった。

私に買われるお花はなんだか可哀想だなって思ってしまったし。自分が生きてるか死んでるのか怒ってるのか悲しんでるのか分からなかったし、とにかく焼き尽くさなくてはならない気持ちとの戦い。自尊心の家出。

 

 

それから自尊心は私の部屋に来て私と仲良くしてたと思えば、朝になると忽然と姿を消してしまったり、ふらふらと遠くに行ってしまって。

たまに私のところに帰ってくる。ときには恋人や友人が捕獲して連れて来てくれたり。

もう家出しないでほしい。できれば隣の部屋に住んだりして私と穏やかに暮らしてほしい。

 

 

生まれてはじめて鉢を買った。ローズマリーを植えてみた。鉢に植え替えなんて小学校の授業で桑の苗を植えた以来かもしれない。

私の自尊心も根を張って健やかに育ってほしい限り。

 

猫とミシン

 

すっかり寒くなってしまって私の外出のやる気は冬眠の準備をはじめています。

一方で恋人には仕事の依頼が絶えず、毎日毎日ミシンと向き合っていてなかなか夏の様に会える日が少なくなってしまいました

そこで、会えないことと忙しいことを緩和すべく、冬の間は彼のアトリエにバイトに行くことに…!

(完全に労働という名の労働のはじまりである)

彼はデザインから雑務まで1〜10を1人でやっていて、それは普通に1人でやる仕事量じゃない。(と常々思ってた)

なのでいつも彼を工場と呼んでいました。(まわりからはロボットや機械とも呼ばれていらっしゃいます)

しかしロボットや機械でもなく、やたらと猫好きジジイなのです。

私がアトリエから家に帰るタイミングにあわせて近くの猫スポットに行くみたいなのですが、

必ずオレンジのサコッシュに3種類くらいの猫の餌を入れて猫に会いに行っています。

私はその行為をキャバクラと呼ぶ。

 

私の今後のライバルは猫でありミシンなのである。人類ではない。

猫とミシンなんて、いつから私はジジイどころかババアと付き合っているのだろうか。

 

彼は何でも自分でしてしまう。ミシンのメンテナンスも自分でミシンに穴を開けて油をさす。仕事も小さな雑務からデザインまで自分でしてしまう。

彼の仕事してるとこを見てると、彼が機械って呼ばれてるのがわかる。機械みたいなめんどくささが彼にもある。私が料理に手こずると彼が主導権を握ってしまう。彼のキッチンだから仕方がないけれど、私は少し悲しくなってしまう。素敵な朝ごはんも作れるし、炊き込みご飯も豚汁もルーローハンも上手だし、魔法みたいに服も作ってしまう。(は、女子力が鬼じゃない?)

たまに私居ない方がよくない?とも思う。でも彼の中では違う。らしい

時々人間になってダメダメになったり、彼氏になって優しくしてくれたり、機械になってきびきび働いたり、忙しそう。

 

私は常に人間だから、ぶん殴りたくなる日もある。嫌な事を思い出して涙が止まらなくなったり、どうしようもない不安をこさえたり、特別理由もないのにご機嫌な日もある。