なんの腹の足しにもならない

なんの腹の足しにもならない

私は多分、左右盲

 

京都に来て多くの人が道の説明を東西南北でするので全く分からず困りました。

 

京都という街が碁盤の目状に構成されていての事だと思うけれど、今まで東西南北で道を意識して育っていない私には、ちんぷんかんぷんでした。

そこで気づいたのが、そういえば私って左右に対しての意識もあまりはっきりしてなかったな?という事です。

 

小学生の頃は今よりもっと左右が分からず、でも周りの子は左右の意識がはっきりしているので私っておかしいんだ!とっても馬鹿なんだ!と思っていて、左右の認識が曖昧な事を隠したりごまかして生活していました。

 

しかし、母には左右がよく分かってないことがバレてひどく怒られてしまった事があります。

母は後に私の事を発達障害なんじゃないか心配した。と言っています

 

 

お箸の持つ方が!とか、利き手だよ!とかそう言って左右を教えられ体に馴染んで普通の人ははっきりと認識することができ、地球は丸い! くらい当然のことになるのだと思いますが

私の場合いつまでも頭の中で当然のことにならず、体に馴染まなかったのだと思います。

 

しかし左右が分からないとさすがに生活に支障をきたすので、

私は母に怒られた後、小さい頃から左手に小さい傷があるので、「小さい傷は左手」という風に視覚的に分かるように自分の中で決まりを付けることにしました。

お箸を持つ方という覚え方と変わらないじゃないか、と思いますが、

常にお箸を持っているわけではないので視覚的に覚えるためには傷の様に常に体にあるということが大事だったのです。

女性に道を教える時に、方角でつたえるのではなく、目印を教えた方が目的地にたどりつきやすいと言う研究もされているみたいなので女性の私には効果的な覚え方だったのかもしれません。

逆に男性には目印ではなく方角の方が良いみたいです。

全く逆なんて不思議ですね。

 

 

左右盲と言う言葉を知ったのはずいぶんと最近になってからのことで、ずっと私は左右が頭に馴染まない私がおかしいのだと思っていました。

しかし左右盲と言う言葉があることを知り、少し楽になりました。

 

今では視覚的、感覚的に左右を覚えることで普通に生活することができます。

 しかし、中には全く左右が認識できない人も世の中に存在すると思います。それは決しておかしい事ではなく、馬鹿って事でもないと思うので深刻に悩むのではなく、あっちこっちの表現でやっていけるか挑戦してみたり大切な人に相談してみたり、周りの人も馬鹿だと思って怒らないでほしい。